「美酒王国・秋田」と阪大
秋田で吟醸酒づくりを指導し、今日の「美酒王国・秋田」を築いたのは、大蔵省税務監督局から秋田銘醸顧問・秋田県醸造試験場初代場長に迎えられた花岡正庸(1883~1953)です。花岡の指導を実践し、全国の品評会で上位入賞を果たしたのが、新政酒造の5代目佐藤卯兵衛こと佐藤卯三郎(1895~1947)でした。昭和5年(1930)、醸造試験所(現・酒類総合研究所)の小穴富司雄(1898~1974)が新政の蔵付き酵母を分離し、同じく秋田の小玉合名会社(現・小玉醸造)で最終試験を行います。小玉合名会社の小玉確治(?~?)が新政酵母で仕込んだ「太平山」が、昭和9年の全国清酒品評会で首席優等賞を獲得したことから、全国に頒布されることになりました。 花岡・佐藤・小穴・小玉はいずれも大阪高等工業学校(阪大工学部の前身)醸造科出身者だったのです。「きょうかい6号」を阪大ゆかりとする所以です。ちなみに大阪高工醸造科からは、日本初のウイスキー蒸留技師の竹鶴政孝(1894~1979)が輩出しており、同期の佐藤とは「西の竹鶴、東の卯兵衛」と並び称されたそうです。
(つづく。大阪大学公式グッズページ(文・松永和浩准教授)より転載
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