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野村なう~西日本豪雨から8年(後編)②~
<野村町の特徴とこれからの人へ知ってほしいこと> ・野村町の人はお酒好きが多い!? 野村町民はとにかくお酒が強く、集まることが大好きです。「松山で酒が強いと言っていた人が野村に来て潰れてしまう」「野村では下戸だと言っていた人が松山に行くとめちゃくちゃ飲める方になる」といった話がよくあります。 ・「集まること」の大切さ 災害直後、野村地域自治振興協議会の役員自身も家や職場が流されるなど被災を経験していました。拠点だった乙亥会館(地域塾などをやっていたイベントの中心地)も全壊しました。そんな中、物置のようになっていたこの場所(野村地域づくり活動センター)の部屋を片付けて臨時の事務所を作り、まずは「みんなで集まって話そう」ということからスタートしました。 ・「のむラブミーティング」の歩み 災害のあった年の年末まではなかなか身動きが取れませんでしたが、年が明けてから本格的な地域活動が始まりました。 一つの部屋に40~50人が集まり、商工会や自治会、農業などの分野ごとに「今後何ができるか」を話し合いました。ミーティングの後はお店に飲みにいき、ざっく
のむら NEO
8月7日読了時間: 2分
野村なう~西日本豪雨から8年(後編)①~
こんにちは。大阪大学2回生のさなです。 前号に引き続き、高岡さんのインタビューをお届けします。後編では、「復興に向けた歩み」についてお話しいただきました。 <防災意識の変化> ・当時と現在の防災意識の比較 当時は南海トラフ巨大地震など地震に対する防災意識はみんな持っていましたが、まさか洪水であれだけの被害が出るとは思っていませんでした。ダムが出来てから洪水が起きたことがなかったため川が溢れることはないだろうと最初はみんな思っていました。 現在、2018年の西日本豪雨を経験した人たちは豪雨に対する防災意識をずっと持ち続けていると思います。雨が降ったら荷物を持って逃げる準備をするということが各家庭ですごく浸透していると感じます。その一方で、現在の小学生や中学生は当時まだ幼少で、当時の記憶があまりない子供達が多いため、地域として防災意識を継続させていくことが行政の役割であると感じています。 ・タイムライン訓練の実施 災害の後、住民、行政などが一緒に動く「タイムライン訓練」を毎年実施するようになりました。本日(インタビュー日当日2026年5月23
のむら NEO
7月31日読了時間: 3分
~西日本豪雨から8年③~
前回のブログ「〜西日本豪雨から8年②〜」の続きです。 <7月末の3連休における苦渋の決断> ・住民の疲労のピーク 7月末の3連休に遠方からの身内やボランティアが多く集まることが予想されましたが、7月7日からの片付けで住民の疲労がピークに達していました。そのためこれ以上は住民の体力が持たないと個人的に判断し、ボランティアセンターの方に説明をして3連休のうち2日間はゴミの受け入れを中止するという決断をしました。ボランティアセンター側からは「せっかく多くのボランティアが来るのに」と怒られましたが、住民が疲れ切っていたため、休ませる対応をとりました。住民からの文句は一つもなかったです。丁度いい体を癒す時間になったのかなという風に今振り返れば思います。あの判断は正しかったなと。 ・ボランティア支援 ボランティアの方々のエネルギーが少し負担になってしまったと言いましたが、それはあくまでもゴミの片付けに関してのちょっとしたことで、助かった部分がたくさんありました。なんといっても支援物資を持ってきてもらったことが本当に助かりました。当時は泊まり込みで1日に3時間
のむら NEO
7月23日読了時間: 2分
〜西日本豪雨から8年②〜
前回のブログ「〜西日本豪雨から8年①〜」の続きです。 <災害発生から現在までの間で特に辛かったこと> ・行政職員としての悔しさ 野村で5人の方が災害により亡くなられており、行政の人間としてもっと色々な知識があれば、声掛けなどで違う対応ができて多少なりとも変えることができたのではないかという取り返しのつかない残念さや悔しさがあります。 ・災害ゴミ撤去 野村に帰ってくる前は環境衛生課の資源循環係というゴミの係に勤めていました。西予市は資源ごみの分別など住民の協力のもと循環型の社会を作っています。市長からの「目の前にある使えないゴミを野村地域から撤去することが次の生活に進めるための最初の行動」という方針により、ゴミ処理のリーダーを任されました。 洪水によって600戸あまりが水に浸かっており、冷蔵庫や椅子、畳など基本的にはゴミしか出ない状況でした。他市からの職員やボランティア、地域住民、消防団など多くの方々と一緒にゴミの搬出を行いました。 ・住民の疲労 当時は全国各地から多くのボランティアの方に来ていただいていました。ボランティアの方々は元気な人が多く、
のむら NEO
7月19日読了時間: 2分
~西日本豪雨から8年①~
こんにちは。大阪大学2回生のさなです。 2018年7月に起きた西日本豪雨から8年の歳月が流れた今も、被災した地域の記憶と教訓はそこに生きる人々の中に深く刻まれています。 今回は、甚大な浸水被害に見舞われた野村町で当時から地域を支え続けている、野村在住で、西予市野村支所地域生活課職員の方にお話を伺いました。当時の緊迫した状況、その中で直面した「辛かったこと」、そしてその苦しい経験から生まれた防災意識の変化などについてお話しいただきました。 このお話は、メルマガでも紹介しています。 <西日本豪雨当時の状況について> ・当時の状況 西予市の職員には広く様々な場所に職場があります。2018年にちょうど地域を盛り上げるという係で野村支所に帰ってきました。当時は野村の総務課というところに所属しており、帰ってきたばかりの年の7月7日に災害が発生しました。 ・当日の具体的な状況 雨は数日前から降り続けていました。その前日の夜にちょうどサッカーのワールドカップの試合を家で見ていたのを覚えています。7日の早朝午前3時に呼び出され、支所に向かいました。その時の雨はバケ
のむら NEO
7月13日読了時間: 2分


野村なう~7月夜市~
こんにちは 愛媛大学1年の中山生吹です! 今回は野村土曜夜市について、夜市会の市川さん、兵頭さん、谷本さんにお話を伺いました。 今回の聞き取りを通して、野村の夜市は単なる夏祭りではなく、地域の人と人をつなぐ大切な場所だったことが分かりました。 半世紀前には新町から三丁目まで広がり、商売も盛んで、多くの人が集まる賑やかな行事であり、着ぐるみショーなど子どもが楽しめる企画もあり、地域全体で夜市を盛り上げていました。 しかし、現在では人口減少や水害の影響、働き方の変化などによって規模は小さくなっています。 それでも、子どもたちが夏の思い出を作れるように続けたいという地域の方の思いがあり、夜市には昔から続く人のつながりや地域を支える力が残っているように感じました。 今年は軽トラ市コラボの1回のみですが、盛り上げていきたいと意気込んでおられました。また、大学生や高校生の力によってこれからも夜市が続いていってほしいです!
のむら NEO
6月18日読了時間: 1分


青年祭に行ってきました!
こんにちは!みさき(愛媛大学3年)です。 2月21日に、野村町青年団結成80周年を記念した「青年祭」が開催されました✌️ 当日は、オープニングでのリコーダー演奏をはじめ、早食い競争や漫才、ものまねなど、さまざまな出し物が披露され、とても盛り上がりました💪🏻 どの企画も凄く本格的で、会場が常に笑いに包まれていたのが印象的でした! 私も女性青年団として参加し、ORANGE RANGEの「イケナイ太陽」を踊りました🌞 全身太陽のコスプレで、立ち位置から振り付けまでみなさんで何度も練習を重ね、本番では息の合ったパフォーマンスを披露することができました🎉会場からの笑いや歓声もあり、とても楽しい時間でした!! そして何より印象に残ったのは、青年団の皆さんの野村への愛です。普段はそれぞれ仕事をバリバリされている方々が、この日のために時間を作って練習をしたり、小物や会場運営まで細かく準備されていました。その姿を見て、改めてこの町の人の温かさと団結力を感じました。 大学生として野村青年団に入れていただき、こんなにも素敵な方々と出会えたことが、本当に嬉しくて
のむら NEO
4月4日読了時間: 1分


「風賢央関を励ます会」が行われました
理事の佐藤です。 今月8日から始まった大相撲春場所を前に、野村高校出身の風賢央関を励ます会(大阪市西区)に出席しました。 西予市長や後援会長である県議さんや野村高校校長先生はじめ、いつもは野村で「ようこそ」と言ってくださる方々が数多く来阪され、反対に「ようこそ大阪へ」。不思議な気分。 「これからも何かあったら言ってください。なんでもお手伝いさせていただきますよ。」 NEOのむら学生たちがおこなったクラウドファンディングでも、応援メッセージをくれた風賢央関は相変わらずのいい人で、当日配られたNEOのむら赤パンフを手に一枚。 十両幕尻の今場所、ぜひとも勝ち越してもらいたいものです。
のむら NEO
3月30日読了時間: 1分
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