〜西日本豪雨から8年②〜
- のむら NEO
- 4 日前
- 読了時間: 2分
前回のブログ「〜西日本豪雨から8年①〜」の続きです。
<災害発生から現在までの間で特に辛かったこと>
・行政職員としての悔しさ
野村で5人の方が災害により亡くなられており、行政の人間としてもっと色々な知識があれば、声掛けなどで違う対応ができて多少なりとも変えることができたのではないかという取り返しのつかない残念さや悔しさがあります。
・災害ゴミ撤去
野村に帰ってくる前は環境衛生課の資源循環係というゴミの係に勤めていました。西予市は資源ごみの分別など住民の協力のもと循環型の社会を作っています。市長からの「目の前にある使えないゴミを野村地域から撤去することが次の生活に進めるための最初の行動」という方針により、ゴミ処理のリーダーを任されました。
洪水によって600戸あまりが水に浸かっており、冷蔵庫や椅子、畳など基本的にはゴミしか出ない状況でした。他市からの職員やボランティア、地域住民、消防団など多くの方々と一緒にゴミの搬出を行いました。
・住民の疲労
当時は全国各地から多くのボランティアの方に来ていただいていました。ボランティアの方々は元気な人が多く、それを見た被災地の住民も疲労困憊している精神と体でありながら「自分達も一緒にやらないかん」と一生懸命に作業していました。その結果体力に負けて倒れる人も出ました。
その倒れた中の1人が私の父親でした。父親の姉の家が、一番水に浸かった場所にあり、命に別状はなかったものの、片付けの中で疲労により父親が倒れ、それ以来父親は体が動かせなくなり寝たきりになってしまいました。自分自身は市の仕事があったため当時は家にも帰れず、親の看病もできなかったことが一番辛かったです。
・災害時のインフラについて
災害後電気は3日ほどで回復しました。しかし、水が1番の課題となりました。目の前にあれだけ水が溢れたのにも関わらず、水不足に悩まされました。市の職員が徹夜で浄水場を掃除しなんとか繋ぎ戻してくれました。改めて「水の大切さ」を痛感させられました。
この続き及びインタビューの全容はメルマガでご覧いただけます。ぜひ、お読みください。


コメント