野村なう~西日本豪雨から8年(後編)①~
- のむら NEO
- 7月31日
- 読了時間: 3分
更新日:8月7日
こんにちは。大阪大学2回生のさなです。
前号に引き続き、高岡さんのインタビューをお届けします。後編では、「復興に向けた歩み」についてお話しいただきました。
<防災意識の変化>
・当時と現在の防災意識の比較
当時は南海トラフ巨大地震など地震に対する防災意識はみんな持っていましたが、まさか洪水であれだけの被害が出るとは思っていませんでした。ダムが出来てから洪水が起きたことがなかったため川が溢れることはないだろうと最初はみんな思っていました。
現在、2018年の西日本豪雨を経験した人たちは豪雨に対する防災意識をずっと持ち続けていると思います。雨が降ったら荷物を持って逃げる準備をするということが各家庭ですごく浸透していると感じます。その一方で、現在の小学生や中学生は当時まだ幼少で、当時の記憶があまりない子供達が多いため、地域として防災意識を継続させていくことが行政の役割であると感じています。
・タイムライン訓練の実施
災害の後、住民、行政などが一緒に動く「タイムライン訓練」を毎年実施するようになりました。本日(インタビュー日当日2026年5月23日)も午前中にタイムライン訓練が行われました。放送をしてサイレンを鳴らし、最後は市長自らが「命を守る行動に直ぐ入ってください」と放送する訓練です。住民全員の参加は難しいため、近年は地区の代表である区長さんなどに動いてもらい、そこから地域の人たちへ声をかけてもらう形で防災意識を高めています。
<災害をきっかけに生まれた地域の変化と繋がり>
・専門家や大学との連携
辛い災害を経験した一方でそれをきっかけに様々な嬉しいことや新たなネットワークが生まれました。NEOのむら発足のきっかけとなった愛媛大学の松村先生や大阪大学の佐藤先生、川端先生といった専門家との繋がりを持つことができました。
・「シルミルのむら」の立ち上げ
野村地区にはもともと「野村地域自治振興協議会」がありましたが、準公共団体ゆえに利益を上げて前向きに事業を推進することへの制限がありました。そこでより信頼性が高く外部団体との窓口になれる組織としてNPO法人「シルミルのむら」を立ち上げました。これにより、外部の支援団体(「特定非営利活動法人パルシック(物資の支援を中心に今後の復興プロセスにおいて必要となる物資をメインにサポートしてくれた団体)」など)との繋がりが生まれました。
・外部からの移住・関わる人々の広がり
エントハウスのレイナさんはもともと神奈川県から災害支援で来ていた方でしたが、野村町を気に入り、この野村で結婚されました。そして、人が集まる拠点となるエントハウスという施設を作ってくださいました。
また、災害をきっかけに「野村町にできることはないか」と考え、阪大のアカペラサークル出身でもある杉田さんは、復興ソングを作ってくれました。杉田さんはその後、2拠点生活を経て、現在は完全に野村町民となりお子さんも生まれるなど野村で大活躍されています。
災害によって多くの苦しいことがありましたが、地域住民が外部の人たちのおかげで成長させてもらい、新たな繋がりができたことは一番良かったことだと感じています。

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